会田誠さんのツイートに対して思う所があったので、私はそこにコメントを書いた。
日本の一般国民が"現代美術に無関心、不信、嫌悪、糾弾"するのはなぜだとお思いですか?
— 河豚 リーナ (@fugurina) 2019年6月6日
現代アートに関する村上隆さんの本を2冊読んだことがあります。現代美術と現代アートを同義とすると、それは結局、金持ち(買い手)の道楽であり、テーマや流行、ルールがその時その時で違うとありました。
私が思うに、会田さんがおっしゃる日本の一般国民に、現代美術に関する理解が無い理由は、あまりにも説明不足ではないか。
— 河豚 リーナ (@fugurina) 2019年6月6日
美術館で「現代アートの最先端!(ドン)」と開催しても、その作品やアーティストに関する背景やテーマ、文脈が非常にわかりにくい。
例えば背景や文脈、流れを知らずに、マルセル・デュシャンの作品「泉」を見ても意味がわからない。便器にサインしただけで何でそれが現代芸術なんだ?と。
— 河豚 リーナ (@fugurina) 2019年6月6日
一般国民に理解を求めるなら説明して下さい。これが俺の作品だ!とゴミを見せられても困ります。
物事を判断するには基準が必要です。
— 河豚 リーナ (@fugurina) 2019年6月6日
例えば、華道を見ても流派を学び、それを基準に出来栄えを判断する。他流派であれば更に違いを認識できる。
やりたいことやって、作りたいものを作ったから現代美術だというのは違うと思います。
私が上記を知ったきっかけは、村上隆さんの著書、芸術企業論と芸術闘争論だ。
現代アートがなぜ一般人にとってわかりにくいのか、美術大学の卒業生は美術で生活していくのが難しいのか、も載っている。
現代アートの買い手は金持ちだ。彼らには彼らのコミュニティがあり、その中で見栄の張り合いで作品を買う。買うのはなんでも良いわけではない。
「構図・圧力・コンテクスト(文脈)・個性」が大事だ。
仕事として作品を供給するなら、購入側である需要を満たす必要がある。需要を満たさない物を乱造して誰が買うか。
誰もが作りたいものを作って売れるなら苦労はない。事実、現実はそうなっていない。
需要と供給のバランスが大事だ。その需要を掴むことが難しいから、最先端を走るアーティストは苦労している。