宗教はただの飯のタネか

神様が居ようが居まいが、日々の生活は続く。

懺悔なんて思いっきりカウンセリングじゃないか?

行った罪に赦しを乞い、あるいは悩み事を話す。

自分だけが許されれば良いという自己中心的思考。

宗教を倫理や道徳の指針にしているのだろうが、その宗教下において行っていた奴隷制度や先住民を虐殺とか行ってきた歴史を鑑みると、その宗教は欠陥を抱えていると言わざるを得ない。

宗教の教えで野蛮人や異教徒を殺しても良いと解釈しているなら、それはその対象の人物の人生を奪うことであり、その人の人生を奪う権利がなぜその信者にあると思うのか。

 

仏教は色々な宗派がある。

元を辿るとお釈迦様の話に着く。

解釈の違いによって宗派が分かれる。

大晦日の鐘の音は108つあり、これは人の煩悩の数だとか。

 

Facebookである同級生のプロフィール写真を見た。子供が4人もいる。

仕事の絡みでお客さんを接待に連れて行くと、たまにスナックで「有名なお寺のお坊さんらが大挙して飲みに来ることがある」と聞く。

大抵のお坊さんは黒塗りの高級車に乗り、見るからに肥えた体型をしている。

 

お坊さんはただの仕事でしかないのかと思った。

性欲、物欲、食欲の亡者じゃないか。

見本になるべき人らが堕落してるなんて、通りで私が抱く信心が落ちるわけだ。

そもそもあるかわからない、むしろなんである前提なの?と思う、死後や地獄についてお釈迦様は何も言わなかったし。

原点回帰は必要だ。

 

ごまかさない仏教: 仏・法・僧から問い直す (新潮選書)

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