マスクをしない私が今頃になってマスクをするようになった

コロナウイルス武漢ウイルス)に感染しないように3密を防いで行動してきた。人との接触を減らし、人通りの多い所へはあまり行かない。

その割に私はマスクを装着していなかった。散歩はもちろんのこと、お店や電車内でも。

その私がとうとうマスクを装着するようになった。武漢ウイルスが怖い?そんなわけではない。理由は顔が寒いからだ。

夏は暑くて口も顔も蒸れて不快だった。この時期は秋となり、次第に気温が下がり、空気が乾燥してくる。マスクを装着することで、口周りやのどの乾燥を防ぐことができる。結果的にインフルエンザや武漢ウイルス等を防ぐことができる。

不安や心配がると免疫力が下がる。家に引きこもると運動不足で筋肉が衰え、孤立化により脳への刺激が減りボケる。

感染症対策を継続した上で、よく食べ、よく動き、よく寝る。それが元気の源だ。

腐女子はゲイをコンテンツとして消費している

人が何に興味を持っていようが、何を好きでいようが、それはその人の自由だ。それについて妄想し、空想し、昇華させ、作品作りに向かわせるのも自由だ。

最近流行りのLGBTとBL(ボーイズラブ)について考えると、案外闇は深いことに気付いた。

性について問題を抱えている人達を、ご本人らと欲求のために、コンテンツとし昇華し消化している。登場キャラクターらにゲイな性向がなくても、あるようなシュチュエーションを作ることで擬似的に表現している。それはまるでゲイらの日常の一時を想起させる。

現実の一般男性は目的思考な一匹狼だ。意味や目的もなくとりあえず同性また異性と会うということはない。行動もしかり。なので、決して腐女子らが求める濃厚な男性同士の肉体的な絡みは一般男性間にはない。もしあるとしたらマイノリティらだ。

上記について考えたきっかけは、女子高校生が電車内でBL本にカバーを付けずに、夢中になってそれを読んでいる姿を見たからだ。それってスポーツ新聞に載ってる官能小説を読んでいるおっさんに近い雰囲気を感じた。

LGBT同士が「結婚」する意味について考えた

役所がLGBT同士の結婚を認めるかどうかについてネットニュースでたまに見かける。どこの区は認め、どこは認めない等。

彼ら彼女らがいう所の「結婚」について私は考えた。我々はそもそも結婚ってなんためにしているのだろうか。2つ考えられる。

・経済的優遇

・社会的承認

経済的優遇について考えると配偶者控除があり、年末調整を行うことで税金が安くなる(年収制限あり)。

社会的承認は、周りの人間は彼らがパートナーなんだと認め、本人らもそれを自覚する。

この2つを考慮すると、「人は後天的に性を選ぶ権利があると主張するリベラル(自由主義者)の目的は、とても軽薄なものに見える。

前者なら金(節税)目当て、後者なら本人らで勝手にやってれば済むことだから。

結婚という制度を使わなくても、男女が長期同居していれば事実婚とみなせる。

そして疑問が湧く。同性愛者カップルでは子どもが産まれる見込みの無いのに、自由を標榜するのに「家庭」や「家族」になぜこだわるのか。

お店がgo to eatを利用するススメ

はてなブックマークに載っていた東京新聞の記事を読んだ。

「Go To イートは本末転倒」手数料に苦しむ飲食店 恩恵は予約サイトだけ:東京新聞 TOKYO Web

このキャンペーンを批判するのは意味がないと思った。理由は簡単だ。

お店がキャンペーンに参加して来客数を増やし、少しでも利益を増やそうとすることは、お店の経営にとって大切だからだ。

このキャンペーンを使わずにお店が満席になるならば、それを使わないに越したことはない。

もしそうでないならば、キャンペーンを使ってプラスを生むか、使わずにマイナスを垂れ流すか。

利益が微々たるものであっても、そこに従事する従業員や家賃、材料費などの支払いが生まれることでお金が回る。このしんどい時期に雇用を守ることは人道としても大切だ。

上司の「人を変えることができる」という発言にイラっ☆

昨日上司と話をしていた。その中で上司のある発言が私はイラっとさせた。

「人を変えることができる」と。

私が考えられるベストを何度も尽くし、堪え忍んだ挙句、破局を迎えた出来事についてそれを言っていた。

 

上司の近況はどうか。自宅では居場所がなく、奥さんとの触れ合いもなく、ちょっと手が触れただけで激しく振り払われ、ボケた姑(しゅうと)の面倒を見ている。週1回以上は行きつけのスナックへ行き、お気に入りの女性に食事をたかられ、お客さんとの接待と言う名目でその人と食べ歩いている。休みの日であっても家族そっちのけでその人と遊んでいる。相手は2回り以上年下。パパ活に利用されている。

 

その状況を知っているから私は思う。人の家庭を変えると言う前に、まず自分の家庭を変えろ。そのガリでブスで横柄なスナックの女性と店外での付き合いは辞め、奥さんとの仲を良くするよう努めよ。そして最近産まれた孫の面倒を見ろ、と。

 

人を変えることができると思うことはおこがましい。私ができる事は要望することだけだ。相手本人が変わろうと思い、そう行動しなければ、私は相手が変わったように見えない。