レースクイーンの廃止とポリティカル・コレクトネスにみる勘違い

F1がレースクイーングリッドガール)を廃止するとのニュースを見た。

アメリカではポリティカル・コレクトネスや #meeto 問題がある。このニュースは女性の性に絡んだ事柄を重く見ての対応に見える。

 

多くの人はすぐ勘違いをする。

アメリカでの芸能界でのセクハラは確かに問題だが、これはそれを訴える土壌や環境が無かっただけだろう。訴えると仕事が無くなったり、干されたりする可能性を怖れていたからだと安易に想像できる。

 

性を売り物にするのとは少しニュアンスが違うが、女性ならではの仕事や文化はある。その典型がレースクイーンチアリーダーだろう。

世間が男性性、女性性を排除する流れであるならば、上記の職や女子アナウンサー、お天気お姉さん、舞妓さんも無くなってしまいかねない。

 

問題なのは性を社会から排除することではなく、差別をすることだ。男性性や女性性を分けること「区別」とは異なると考えた。

ポリティカル・コレクトネスが「差別」を無くそうという働きなのは理解できるが、これを拡大解釈し、また政治的に利用するのは良くないと思う。

根拠の無い邪推だが、国際的なレースクイーンの廃止については、フェミニスト(女性拡張論者)団体が本件に絡んでいるのではないか。

 

レースクイーン年鑑 (2001)

レースクイーン年鑑 (2001)