あいちトリエンナーレの展示とニコニコ動画のMAD動画は現代アート

あいちトリエンナーレで展示物が「あんなの現代アートではない」と批判されていた。問題は現代アートか否かではなく、国際問題に火を付けて薪をくべるような展示に公金が使われたということだ。

話は戻ってそもそも現代アートってなんぞや。現代アートではないと否定するということは、何が現代アートであるか分別が付いているのだろう。もし、その人が持つ判断基準が現代アートを見分けるものと異なるのであれば、それは現代アートではないと言えない。基準が異なれば正確に良い、悪いも付けようがない。

分からない時はとりあえずググるよね。村上隆さんの本を紹介しているサイトがあった。

現代美術とコンテクスト?(村上隆-「芸術闘争論」読了)

その中で「鑑賞の4要素」があるとのこと。

  • 構図
  • 圧力
  • コンテクスト
  • 個性

あいちトリエンナーレの例の像、いわゆる少女像は表現の不自由展に出すことは、現代アートとしては成り立っていた。その像に関して構図と圧力はよく分からないが、コンテクストと個性は満たしている。

コンテクストについて見ると、歴史的嘘や時事が読み取れる。歴史を見ると韓国が言う「慰安婦少女」というのは存在しない。また、強制的に戦時に連れて行かれた慰安婦もいないし、少女はそもそも連れて行かれない。いたのはただの売春婦。時事としては韓国が騒いでおり、国際的に日本をおとしめようとしている。

個性は、この像のモデルが2002年に米軍に轢き殺された少女で、それに戦時を想起させるようなセピアな着色をしていること。出品者が着色したのかは知らない。

表現の不自由展だからって、政治的に問題がある、歴史的に嘘である像に公金を出すのは間違っている。日本には表現の自由があるが、なんでもかんでも自由なわけではない。安心・安全があっての自由。例えば、3Dプリンターで本物と同じ構造を持つ銃を作るのは自由だが、その結果どうなったかは過去にあった逮捕事件からも明らかだ。街中で陰部を出し、表現の自由だというのは認められるのか?

 

さて、本題に戻ってニコニコ動画のMAD動画はどうか?上記4つの要素を全て満たしていると私は思う。たいていは曲に合わせて複数のアニメを切り貼りしている。

構図と圧力はアニメ自体がそもそも持っている。コンテクストは複数のアニメも同じポーズやシーン、シチュエーションを踏襲している。完全なオリジナルではない。個性はその曲に対してアニメのシーンを編集するその情熱と労力が見て取れる。

なぜMAD動画が国内、国際的に評価されていないのか?それは彼らがそのアニメ群を見ていないからだ。また、MAD動画が現代アート足り得ると周囲の人は気付いていないし説明さえしていない。

Cool Japan?違う。Passion Japan。